井上ひさしさんからの応援メッセージ

昭和24年、家の事情で山形県の南部の小さな町から、生まれて初めて奥羽山脈を越え、一関中学に転校しました。

丁度、一関は水害の堤防工事で大変なとき、西部劇の舞台みたいに賑やかでした。一関中学の3年に編入しましたが、みなさんが本当に親切にしてくれまして、たった半年でしたけれども、当時の半年のつき合いで、親友が未だに4、5人おります。
その時に、堤防沿いに飯場があって、そこにお袋と兄と弟が住んで、お袋が大建設会社の下請けの、さらにその下の土建屋の親方で、兄がそれを手伝っていました。その飯場が、実は世嬉の一さんの蔵だったんですね。

すぐ、世嬉の一さんに新星映画劇場という映画館ができまして、時々モギリの手伝いをしたりして、そこに入り浸って、沢山いい映画を観ました。そういう意味で一関は、新しい友達が出来たり、映画を毎日のように観たり、大きな本屋があったりして、初めて大都会へ来たという感じがしました。初めて世の中の陽が当たる所へ出たという気がしました。

今、一関では「文学の蔵」を設立しようというボランティア運動が盛んで、世嬉の一さんをはじめ、多くの方が参集していますが、私も家が困っていた時期にお世話になって親切にしていただいた、その時の御恩の万分の一でもお返ししようと、自分に出来ることをやらせていただいております。
「文学の蔵」の運動がしっかり進んで行けば、一関市が全国の文学フアンのメッカにきっとなると思いますし、なるようにしなきゃいけませんが、そういう日の来ることを祈りながら、その日が来るまでみなさんと一緒にコツコツと頑張ろうと思います。

 

                                                             出典:今村詮さんの「一関と文学」より